東京高等裁判所 昭和46年(ネ)1740号 判決
右認定の事実によると、控訴人らが附近の住民と共に本件土地を数十年来東方公道に通るため通行してきていたことは認められるが、このことをもって、控訴人らが本件土地について他人を排除して事実上の支配をしているといえないことは原判決の右説示のとおりである。従って控訴人らが本件土地に占有権を有していると認めることは到底できない。<中略>
前記認定の事実によると、大正一二年初めごろ東京都文京区本郷四丁目三六番の三四と同所同番の三六(当時、東京市本郷区眞砂町三六番の三四と同所同番の三六)の地上に境界線をはさんで東京市が一棟二戸建の公営住宅を二棟向い合せに建築するにあたり、その二棟の中間に巾一間の空地および二棟の西側空地(中略)を残し、右二棟の建物の右旧通路に接する側に垣根が設けられ、住宅敷地と通路部分とが区分され、その通路部分は西方白山通りに通ずる巾一米前後の私道に接続し、右接続個所は段差があるのでそこに当時控訴人らの一部を含む附近住民が費用を出し合って石段を設置し、爾来右住宅の居住者および同住宅の西側に隣接して居住する者のほか附近住民が公道から公道に至る近道として利用してきていたことは認められるが、本件土地について本件当事者間に通行地役権または通行権を設定する明示の契約が成立したと認める証拠はない。そこで、黙示の契約の成否について検討する。おもうに、黙示の契約を認めるためには前示のような通行の事実があり通行地の所有者がこれを黙認しているだけでは足りず、さらに、右所有者が通行地役権または通行権を設定し法律上の義務を負担することが客観的にみても合理性があると考えられるような特別の事情があることが必要であると解する(例えば、一筆の土地を分譲する際、通路を利用する譲受人に対しその通路敷所有権を分割帰属させるとか、通路敷所有権をもとの分譲者に留保した場合の如し)。けだし、他人が法律上の権限なく通路として土地を通行しているに拘らず土地所有者がこれに対し異議を述べないで黙認しているだけの場合は、単に好意的黙認にすぎないか、または、通行地役権時効取得の要件である事実状態の一つをみたすだけだと考えないと、これら二つの場合と通行権設定の暗黙の合意とを区別できなくなるし、所有者が異議をいわないだけのことで通行権を設定するという不利益を負担させることは妥当でないからである。ところが、本件において前記認定事実のほかに通行権設定の暗黙の合意を認めるべき客観的・合理的な特段の事由は認められない。<中略>
控訴人らのほか附近住民が本件土地の住宅の居住者と共に大正一二年以来本件土地を通路として利用していたこと、控訴人らのその利用は本件土地の所有者およびその土地利用権者の好意的な黙認のもとになされてきていたことは前記認定のとおりであって、右利用の事実をもって控訴人らが本件土地に慣行に基づく通行権を有するとの慣習法ないし慣習を認めることはできず、また他に右通行権を認めるに足りる十分な証拠はない。<中略>
控訴人らは右旧通路は昭和三〇年七月三〇日東京都告示第六九九号をもつて道路の指定を受けたものと主張するが、前認定のとおり、建築基準法(昭和二五年法律第二〇一号)施行の際に旧通路が巾員四米未満一、八米以上の道であったことを認めるに足りる十分な証拠がないので、旧通路に右告示を適用ないし準用することはできない。<中略>
前記認定の事実によると、控訴人らのほか附近住民が本件土地上の住宅の居住者と共に大正一二年以来本件土地を通路として利用してきていることを認めることができるが、右控訴人らの通行は他の住民の通行と共に本件土地の所有者またはその土地利用者の好意によって通行が事実上黙認(忍容)されていたものであることは明らかである。しかし、地役権の時効取得は「継続且表現ノモノ」に限られている(民法二八三条)ので、控訴人らの本件土地の通行が「継続且表現ノモノ」か否かを検討する。おもうに、「継続且表現ノモノ」に限り時効取得を認めた立法趣旨は、通行が継続的でないときは所有者も余り迷惑でもないので近隣の交際や人情から黙認することが多いし、通路であることが外部から判らないときは所有者が知らないこともあり、知っているとしても右と同じ理由で黙認することが多いので、このように好意的黙認が通常であると考えられる場合、それだけの事実によって通行地役権の時効取得を認めると所有者はそれだけ法律上の権利を制限され奪われることになり、いわば法律が好意に対し害を以て酬ゆることになって社会生活の規範として相当でないからである。
ところが通行が継続性および表現性をもっている場合、所有者はより強く自分の権利を害せられると感じ長期間黙認をしないのが普通であるのに、それにも拘らず長期にわたって黙認をしている以上、所有者に権利行使の意思がないと推測されるし、社会一般から眺めて通行する者に法律上の権限があると考えらるので、法律はこのような事実状態が十年ないし二十年間中断されることなく続けば法律上の権利関係まで高めて保護しようというのである。してみると、通路の有無、通路開設の経緯、通行の態容、当事者双方の利害などを客観的・総合的に考え右立法趣旨にてらし、事実状態を権利関係まで高めるのが妥当か否を基準として「継続性」および「表現性」を判断すべきである。かような観点からすれば、通行地役権の時効取得を認めるには、まづ、単に通行しているのいうだけでなく通路の開設が必要であり、しかも、通路敷所有者以外の者が主として自己の通行の便のため開設したものでなければならない。けだし、通路敷の所有者はかような場合にはこれを黙認せず、異議を述べるのが普通であるからである。
さて、本件において旧通路は東京市が大正十二年ごろ公営住宅二棟を建設した際、主としてこれらの住宅居住者の便宣のため開設したもので、控訴人らはこれを利用していたものであることは前記認定事実から推認できるし、他に、右通路が控訴人らまたはその被承継人によって開設されたものであるとの事実を認めるに足りる証拠もなく、従って控訴人らが本件土地について時効により通行地役権を取得したという主張はその余の点について判断するまでもなくこれを認めることは相当でない。<中略>
前記認定の事実および弁論の全趣旨によると、被控訴人らは本件土地に建物を建築するためにブロック塀を設けその通行を阻止したのであるが、本件土地が閉鎖されその通行が阻止されることになると、控訴人らにおいて東方の公道に出るのが遠廻りとなり生活上不便を来たすだけではなく、控訴人らがその住所地に居住を続けてゆくうえで東方に通ずる緊急避難通路を閉ざされることになりその安全性に欠けることが容易に認められる。しかし、前記認定の事実によると、控訴人らはいずれも巾員一米前後の私道を介して至近の白山通へ通行することができるのであり、<中略>更に、本件土地の広さ、形状および附近の状況からいって、緊急避難用として本件通路が不可缺のものであるということはできない。控訴人らが本件通路を通行できることは、確かに、社会生活上便宜であろうし、火災など緊急の場合に安全率が高まるものといえよう。しかし、他面、被控訴人らが更地として買受けた本件土地の所有権がそれだけ制限され、―換言すれば財産権が侵害され―本件土地の利用効率からみて少からざる損害を被ることも否定できない。従って、権利濫用となるか否かは双方のこれら利害の調整と社会秩序の維持とを総合的に考えてきめることになるが、本件では被控訴人らの所有権行使が法律上許されない程度に達しているものとはいえないと判断する。
(伊藤 小山 山田)